たのぶろ/コーチングと森林浴と、ジェンダーと

自分を大切にするために、一歩踏み出すエッセンスをお届けしています。

人はもともと想像力と才知にあふれ、欠けるところのない存在である

こんにちは。

※西岡史恵のコーチングセッションを継続的に受けていただいている皆さんにお送りしているメルマガを転載しています。

先日たこ焼き器を買いました。

うまくひっくり返せないのが面白くて、
朝も昼もたこ焼き器を使っていたら、
子供にもう飽きた…と言われてしまいました。
作りながら、おしゃべりしながら、食べながら、
はとても楽しい気持ちになるので、おうちパーティーにおすすめです!



さて、今日は、
私のコーチングの基礎となっている
コーアクティブ・コーチングの礎についてお話します。

関係や会話におけるコーアクティブな関わりの
基礎となる信念(礎)が4つあります。

①人はもともと想像力と才知にあふれ、欠けるところのない存在である。
②その人すべてに焦点をあてる。
③今この瞬間から創る
④本質的な変化を呼び起こす


どの言葉が今の自分に響きますか?


今回は、
①人はもともと想像力と才知にあふれ、欠けるところのない存在である。
について、私の解釈と経験についてお話したいと思います。

私はこの信念をとても大切にしています。
あなたは、自分で立ち上がり、自分で道を探し、
自分で歩き、自分で転んでも立ち上がることが「できる」存在です。

みなさんと同様に、私も。

私は、コーアクティブ・コーチングに出会うまでは、
これと真逆の信念を持っていたように感じます。
人は、不完全でなにかが足りず、それを補って生きていく存在だ。

前職で人事として働いていたときのことを思い出すと、
こんな風に人と自分自身に関わっていました。

人に対しては、
・できないことを指摘することが正しいことだ
・弱点を埋めないと戦うことはできない
・私が手を差し伸べて解決してあげなきゃ
・どうせあの人はこういうことができない

自分に対しては、
・私はこれが苦手だからできない
・私はクリエイティブな才能がない
・私は論理的に考えることができない
・私なんかが意見することは恥ずかしい

こんなことが根底にありながらも、
人や組織の成長や変化を支えたいと仕事をしていました。
なんだかチグハグですよね。

だから、仕事では特に「自分にも他人にも厳しくあらねば」と思っていました。

一方で、そこに大きな違和感もずっと持っていました。
「人や組織の成長や変化を支えたい」という願いはたぶん本物なんだけど、
なんだかうまくいかない。
課題を指摘して、そこに向かって行動を促しても、行動が伴わない、結果が出ない。
信頼されたいし、頼られたいのに、現実はそうならない。
方法論も分からないから、今の関わりを変えられない。
そんなところに何年かとどまっていました。

色んな経緯で、コーアクティブ・コーチングを学ぶことを決め、
基礎コースに行きました。

そこで、
『人はもともと想像力と才知にあふれ、欠けるところのない存在である。』
という言葉と眼差しに出会いました。

コーチが大きく見えました。
Zoom上で画面はみんな均等割されているのに、
なんだか神々しく、場をホールドしてくれている、
私達受講生を見守っている。
この間や雰囲気はなんなんだ…!?

恥ずかしい気持ちもあるのですが、
「あー私が出会いたかった、信じたかったのは、コレだ」とじんわり私のなかに浸透し、
自然と涙が出てきたのを覚えています。

誰もが力を持っている、
それを発揮することができる、
それを使うために生きている。

足りないことを埋め続けるだけが人生ではない。
本当はすでに持っている。

この考え方に触れた瞬間、もっとこれを身体に染み込ませたい。
私は、この考え方を私の中心において、
他者と、そして自分自身と接したい。

そこに大きな可能性を感じて、コーチの道を目指しました。

これまでは、
あの人は、アレがダメ
あの人は、コレがすごいから私はダメ
となにかダメな理由を探していたのかもしれないと気が付きました。

何かにつけて比較していたら、
評価基準や満たすものが、他者にある状態ですよね。

そうじゃない、自分を満たすのは自分で、自分が決めて良い。
対人支援としても、立ち上がるのは私ではなく、その人。
その人には力があるから、それを信じて関わる。
何を選択したいかは、行動する本人が決めることだ。

自分のことを
人はもともと想像力と才知にあふれ、欠けるところのない存在である。
として見れないよ、なんて言葉も聞こえてきそうです。

そうですよね、そんな風に教えられてこなかったから。

でも、今その考え方を知り、何を選択するか、
自分を、他者を、どう見るかはあなたが決められる。
過去なんて関係ない。
今あなたがどうしたいかだ。

私は、あなたを、私に関わる人を、私にとって大事な人を、
人はもともと想像力と才知にあふれ、欠けるところのない存在である。

として見ると決めただけ。

もちろん、できないときもある。
あの人が…という気持ちになることもある。
ましてや身近で大切な人には難しい。
(親、パートナー、こどもには本当に難しく、白状するとほとんどできてない)

でも立ち戻ってくるところを決めている。

あなたは、何を自分の中心に置きますか?

それでは!

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