たのぶろ/コーチングと森林浴と、ジェンダーと

自分を大切にするために、一歩踏み出すエッセンスをお届けしています。

児童養護施設での実地研修を受けてきました

こんばんわ。

ただいま3日里親を目指して、里親研修を受けています。
今日は児童養護施設で子どもたちと触れ合うという実地研修を受けてきた中で、感じたことを書きます。

児童養護施設での研修内容

今日の研修内容としては、10-15時まで『施設で暮らす子どもたちと共にいる』です。具体的には、生活しているホームの中を見せてもらって、お庭でバスケやサッカーをしたり、ホームでカードゲーム等で遊びました。

感じた3つのこと

私に見えるものは、その人のほんの一部だ

私が遊んだ子どもたちは元気で、笑顔で、声をたくさん出して遊んでいました。とてもハツラツとしているように見えました。私は息切れ状態…ちょっと筋肉痛も…。
現在はそう見える子でも、親と離れる喪失体験や虐待経験をしている可能性が非常に高いです。

施設入所理由の65%は虐待だそうです。
↓こちらがわかりやすかったので貼っておきます。
beyond-tomorrow.org


一緒に遊ぶ中、ふと、この子はどういう経験をしてきたのかとそこに意識が向きました。

そこから気がつくことは、私は相対した人の極めて一部しか見ることが出来ないということ。誰にだって色んな過去はありますが、自分の経験とも重ね合わせて、分かった気になる。分かったつもりになって接してしまう。けれど、本当のところなんて、何を感じてきたかなんて、誰にも分からない、共有することは出来ない。そこを強烈に突きつけられました。

私が里親をやる意味はなんなのか?生きるってどういうことなのか?幸せってなんなのか?私の役目はなにか?等様々な問いが頭を駆け巡りました。

少しだけ自分自身についてわかっていることは、人は分かりあえないけど、一緒にいることはできるし、それが力になることもある。何かあったとき、何もなかったとき、誰かそばにいてほしいとき、迷ったときに、そこにいる存在でありたい。


他者をジャッジする気持ち

これは詳しくは書かないが、研修を受けている中で、他者をジャッジした瞬間があった。ありありと分かった。怒りの感情が湧いた。今自分が見えている「たった1つの言動」が、私の価値観と異なるだけなのに、ジャッジをした。
急に恥ずかしい気持ちになった。私はその相手のことを何も知らないのだ。一つ目で書いたことと同様に、私はその人が今まで経験してきたこと・学んできたこと・今大切にしたいことを何も知らない。その人の中で積み重ねてきたことがあって、今その行動を取っている。そのことを忘れてジャッジした自分を恥じた。気付けて良かった。


生き抜くこととジェンダー

私はジェンダーに関心がある。家父長制・男社会をなくしたい。私の中では非常に大切な問題だ。至るところに潜んでいるし、皆の問題だと思っている。研修をうける中で「人生のなかの優先度は人によって違うんだ」ということに気付いた。
「生き抜く」「生活の基盤を作る」ことが重要度が高いこともあるし、それ以外のことの重要度が高いこともある。人それぞれ違う場所に立っている。

だけど、だけど、だけど。DVや虐待は家父長制が生んでいるという構造上の問題もある。切っても切り離せない問題なんだ。
残念ながら、私の言葉ではまだうまく説明できないので、リンクを貼っておく。もっと勉強します。

www.elle.com

www.note.kanekoshobo.co.jp

私は家父長制をなくしたい。
それでは。