たのぶろ/コーチングと森林浴と、ジェンダーと

自分を大切にするために、一歩踏み出すエッセンスをお届けしています。

パフォーマンスの質=その人そのものの価値、ではない。

夫です。久しぶりのブログです。
箱根が初夏を迎えて青々しくなってきておかげか、なんとなく何かを書く気持ちになりました。

仕事で失敗したなぁ、とか、言葉や気持ちがうまく伝わらなかった、とか、日々ありますね。
そういう時つい、ぼくはダメだなぁ、とか、わたしが悪いんだ、とか、考えてしまいがちです。
最近ようやく気づいたが、その考えは間違いということです。
ぼく、や、わたし、そのものは、別にダメでも悪くもないんですよね。
やり方か、または相手や状況がうまく噛み合わなかった(だけ)ということなんだと思います。
伝わらない=無価値、ではない。
パフォーマンスの質=その人そのもの、ではない。

その人そのもの×表現力×環境との相性=パフォーマンス

ということなんじゃないかなと。
もちろん、表現力や相性も大事。
表現力が不足して1未満になるとパフォーマンスを下げちゃいますから、スキルアップする意味はある。
環境との相性が悪くて1未満になるとこれもパフォーマンスを下げちゃうので、自分に合う場所と出会えることは大きい。
でも、それらがイマイチだからといって、ぼくやわたしそのものの価値と直結はしないです。うまく伝達できなかっただけ。

で、パフォーマンスに即つながりそうな表現力を磨くことばっかりに躍起になって、
自分そのものを大事に満たして、元気に伸ばしていくことを忘れてしまうと、どこかでどん詰まっちゃうんですよね。
よく言われるインプットとアウトプットのバランスにもつながる話でもあります。

ぼくが森の中をランニングしている時、小説や映画を楽しんでいる時、はじめての山の中を探検している時。
一見、仕事には直結しないようであっても、自分そのものを満たして伸ばしているな〜と感じます。
子どもたちが原っぱをただただダッシュしている時、じーっと花や虫を眺めている時、荒れ狂うエネルギーを怒りに換えて発散している時。
読み書きそろばんには関係ないかもしれないけれど、その体や心を満たして伸ばしているような気がします。

そのものを満たして伸ばすこと、表現力を磨いて適切な環境を見つけること。
見えやすい・見えにくいはいろいろですが、どれも大事なことですね。