たのぶろ/コーチングと森林浴とジェンダー

自分を大切にするために、一歩踏み出すエッセンスをお届けしています。

あきらめない妻、変化する夫

こんにちは。夫です。箱根はだいぶ寒くなってきて、今朝、車が真っ白に凍っているのを見て「冬だなあ」と感じました。

さて先日、株式会社リディラバが運営するオンラインコミュニティ「リディ部〜社会問題を考えるみんなの部活動〜」でお時間をいただいて、勉強会を開催してきました。
タイトルは「夫婦・家族のしなかやかで対等なパートナーシップを考え続ける勉強会〜あきらめない妻、変化する夫〜」です。

note.com

話題提供として、ぼくたち夫婦のパートナーシップの変遷や工夫、一緒に学んできたことで気づいた「夫婦・家族」の裏側に潜むジェンダーギャップなどの社会課題についてお話ししました。
参加者のみなさんからもチャットや声で感想や質問をいただいたことから、ぼくにも新たな気づきがたくさんありました。

夫婦のことって、内側に閉じられやすい。

思えば、自分たち以外の夫婦がどんなパートナーシップを築いているか、あるいはどんな悩み・困りごとがあるか、ぜんぜん知らないです。特に夫や妻「どちらかだけ」ではなくて、両方の視点から語られることって少ないですよね?

でも、ご機嫌な毎日を過ごす基盤としても、働き方や子育てのことを考えても、夫婦・家族のパートナーシップってすごく大事なこと。それがノウハウやモデルも見えず「自分たちはどうしたいんだろう?」と客観視できないまま、幻想や先入観の中の「素敵な家族像」と比較して苦しんだり、外部の誰かに相談できなくて抱え込んで苦しいのって、いろんな意味で社会的な損失だと思うようになりました。

ぼくら夫婦ユニット「たのらく」としても何かできないかな?まずはいろんな夫婦・家族のパートナーシップにインタビューしてケーススタディできるといいかもしれない、と話し合いました。このブログでもまたお知らせします!

傾いたシーソーをまっすぐにしたい。

家事・育児や介護、キャリア・働き方、意思決定の方法などなど、夫婦間の役割分担で「本当にそれって対等?」と思えるアンバランスさって、たくさんあると思います。それまでいろんな形で世の中から「そういうものだ」と刷り込まれてきているので、気づかなかったり違和感をスルーしたりになりやすいんですよね。

ぼくら夫婦も、妻があきらめずに「それっておかしくない?」と言い続けてくれたことでやっと対等なパートナーシップに近づけていく努力をするようになりました。こびりついた無意識の先入観を一枚一枚ベリベリと剥がしていくような感覚でした。ぼく・夫側からすると、知らずに享受してきた男性の特権(男ボーナス)をひとつずつ手放していく過程でした(最初は抵抗あるけど、だんだん楽しくなっていきました)。

あえて単純な図式にすると、「男性」はしっかりと地に足ついて安定していて、そこがシーソーであることにも気づかないぐらい。「女性」は浮いたシーソーの上に座っていて、不安定で怖い状態にある。

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夜中に夫婦で熱く語りながら描いた図

で、この傾いたシーソーをまっすぐにしたい(性差別をなくして対等でありたい)と思ったら、シーソーの「真ん中」に現れて「わたしは中立です!」といくら叫んでも、傾きは何も変わらないんですよね。むしろ傾きをキープするという意味では現状(差別)に加担してしまっている。

女性が女性の側でいくら大きな声を出しても、立ち位置や見える景色がちがうから男性には「よくわからない」というのが残念ながら実情(男性が悪いとかそういう話ではなくて、それが社会の構造になっている)
だから、シーソーの傾きに気づいた男性が何をするべきかっていうと、真ん中に立つことではなくて、女性の側に座って一緒に声をあげること。それでようやく、少しずつ、「まっすぐ=対等」に近づいていくんだと思います。まず自分自身から始めるということで、ぼくは今後もフェミニストを自称し、勉強しながらどんどん声をあげて行動していきます。

今回はあえてわかりやすく女性と男性のシーソーにしましたが、こういうのって世の中にたくさんある「傾き」だと思います。支援する側・される側、教える側・教わる側、買う側・売る側、大人・こども、などなどなど。

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いろんな傾きに気づかせてくれた本たち

ぼくは、世の中のいろんなシーソーを少しずつでもまっすぐにしていきたいと思います。これからも、あきらめない、そして変化する夫婦として、チャレンジし続けます!