たのぶろ/コーチングと森林浴と、ジェンダーと

自分を大切にするために、一歩踏み出すエッセンスをお届けしています。

生きることをがんばる?楽しむ?

夫です。箱根は梅雨入りし、毎日窓の外が真っ白。雨なのか霧なのか、どうやらこれが仙石原「らしい」気候のひとつみたいです。これはこれで楽しもうと思っています。なんだか、物思いや読書が進みそうな季節です。

先日、仕事のひとつで「この世の中を生き抜くために、わたしたちには何が必要?」というテーマで数人での対話をする機会がありました。
この問いを立てたのはぼく自身だったのですが、それを投げかけながら、自分自身が「ああ・・・生きることをがんばってきたんだなぁ」ということを思いました。
誰に頼まれているわけでもないのに、いろいろ不安だからか、勝手に抱え込んじゃうんですよね。

仕事で、これが自分の役割だから、責任だから、と引き受けているものを進めているときは、「ふんばっている」という感覚があります。ぐっとお腹に力を入れて、やるべきことをやるぞ、と。誰かに何かをちゃんと説明するとか、資料をつくっているとか、そういう時です。

育児・家事で、いつもうっすら「まずはやるべきことをやる」という感覚を持っています。
朝の保育園送りまでのルーチンってだいたい決まっていて、食洗機の食器を片付けて、洗濯物をたたんで、保育園の荷物を準備して、連絡帳を書いて、昼・夜のおかずをつくって・・・と、しっかりやればやるほど、妻や娘たちが楽しそうに遊んでいる姿にイラッとしちゃったりするのです(夫婦の育児・家事の分担バランスが50:50ぐらいになったのなんて、つい最近なのにね)。

「ぼくはがんばってやるべきことをやっている」
だから「他の人もやるべきことをやってほしい」「自分のことを認めてほしい」
これが積み重なると、つい攻撃的になってしまったりして、あとになって反省。
そういうことって、ありませんか?ぼくは、しょっちゅうです。

でも、一方で、ぼくが常に「やるべきこと」でがんじがらめになっているかというと、そういうわけでもないはずなのです。

仕事でも、けっこう大変なことでも鼻歌まじりのご機嫌で取り組んでいることがあります。
育児・家事でも、最近は特に、家族の時間の使い方を、みんなで考えてつくることを楽しみつつあります。
たとえば、梅雨入り前は近くの公園によくピクニックに行っていました。そのためのお弁当をつくっている時のぼくは、やるべき:たのしい=20:80ぐらいだと思います。

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飾り気はないけど、みんなの好きなものを入れたお弁当


仕事すること、育児・家事すること、生きることを、ちょっとがんばっている毎日。
でも、その中の「楽しい」の割合をどんどん広げていきたいと思っています。
楽しんでいた方が、生きてて楽しいもんね。