たのぶろ/コーチングと森林浴と、ジェンダーと

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ぼくが選択的に姓を考えるとしたら

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選択的夫婦別姓、すごく賛成です。
世の中のジェンダーバランスが対等になっていく方向性を歓迎していますし、「選択する」という機会で夫婦や家族が対話して納得して決めるということがとても大事だと思うから。

とは言え、自分自身にとっては?
ぼくたち夫婦は別姓を選択するだろうか?
試しに考えてみました。

いまはぼく(夫)が妻側の姓になっている

結婚したとき話し合って、妻の姓になりました。
いくつかの理由があって、

  • ぼくは仕事上で旧姓を使い続けるけど、戸籍上の姓が変わってもそれほど影響がないと判断した
  • ぼくの元の姓はけっこう珍しい(日本に40人ぐらい)のだけど、印象に残りやすい反面、子どもの頃はちょっと苦労した(おもしろい音ってだけでいじられたりするよね)ので、娘たちにそれを引継ぎたくなかった
  • 夫婦両方の両親・親族ともに、どちらの姓にするかはこだわりなく任せてくれた
  • 妻が姓を変えないことを望んだ

という感じ。
ぼく(夫側)が姓を変えたことへの不満は全くないです。
まぁ、役所と金融機関の手続きがすごく面倒だったことと、めずらしい姓から変えたことに他人から「もったいない!」とか勝手に言われてイラッとしたりすることはありましたけど。

姓によるアイデンティティ

あ、別姓が共存したからってもちろん家族は崩壊しないと思いますよ。当然に。
ぼく自身のいまで言えば、パーソナルネーム(旧姓)とファミリーネーム(妻姓)がそれぞれできた、という感覚かな。
仕事や以前からの友人付き合いでは変わらず旧姓ですし、それによって蓄積されてきたぼく個人のアイデンティティがあります。
唯一ゆらぎがあるとすれば、箱根に移住してきてからかな。
ぼくの仕事上の発信を知らないし最近出会った人たちからすれば、ぼくはもちろん「(妻姓)さん」なんですよね。
病院や役所以外で初めて日常で(妻姓)さんと呼ばれるわけなので、ちょっと慣れなくて微妙なゆらぎがあります。
でも、ファミリーネームの方でまた新しくアイデンティティが蓄積されていくのかと思うと、それはそれでおもしろいと思うんですよね。新鮮でドキドキする感じ。

制度化されたら途中からでも別姓を選択するか?

だから、ぼくはたぶん今後においては別姓を選択しないと思います。いったんの結論として。
ファミリーネームの方でこれから起きるいろいろなあたらしさが、おもしろいと感じるから。
そして、パーソナルネームの方でも蓄積され続けるアイデンティティも大事にしていくし、それらはぼくの中で共存可能だから。

結婚した5年前に選択的夫婦別姓の制度があったら?

たられば話なので蛇足ですけど。
うーん・・・どうしていたかなぁ。
これまで書いてきたことってこの5年の経験あっての考えだから、5年前のぼくにさかのぼったらまた違う判断をするのかもしれない。
妻に聞いてみたら「わたしは妻姓を選ぶって言ってたと思う」と。そうだよね。
そうなると、ぼくが元の夫姓を選択するか、妻姓を選択するかだよな。
5年前のぼくだと、パーソナルネーム(夫姓)によるアイデンティティの蓄積をそのままで続けたいと思うかもしれないなぁ。
ファミリーネーム(妻姓)の方であたらしいアイデンティティが生えていくことを「おもしろそう!」と思えるだけの発想があったかなぁ。わからないな。

そう思うと、いずれにせよ「これもおもしろいよ!」と言ってくれる先輩夫婦?がいてくれることが大事なのかもしれない。
選択肢がある(権利がある)ということはもちろん素晴らしいから、それを前向きに選んでいけるだけの何かがセットであると、さらに良いのかもしれませんね。